免疫学フロンティア研究センター・特任教授の坂口志文先生が、2025年、2名のアメリカ人研究者(Dr. Mary E. Brunkow, Dr. Fred Ramsdell)との共同受賞という形でノーベル生理学・医学賞を受賞されました。おめでとうございます!
特別インタビュー / Special Interview
大学の授業がきっかけで免疫学に興味
高校まで故郷の滋賀県長浜市で過ごしました。中学時代は美術部に入り、絵や彫塑に夢中でしたから将来は芸術の道に進む夢を抱いていました。しかし、やがてその才能がないと気づき、高校で医者になろうと決めました。母方の親戚に地元で開業医をしている人がいたこともあり、 医療に関わる仕事に少なからず親和性を感じていた のかもしれません。 高校時代に読んだ医者であり作家であったドイツのハンス・カロッサなどの本にも影響を受け、医学部の進路を選択しました。 大学入学当初は精神科の医者を目指していました。ただ、当時の精神医学は文系学問の心理学や哲学に近い領域で、自分でも様々な専門書を読んで勉強したものの次第に興味が惹かれなくなっていきました。やはり自然科学に基づく医学を学びたかったのだと思います。 その後、大学の授業がきっかけで免疫学の世界を知り、自らの専門として研究してみたいと強く感じました。「もし研究者の道が向いていなければ、一から臨床を学び直して故郷で医者になろう」。そんな決心で大学院に進みました。
ある実験報告を目にし、大学院を中退
大学院では病理学研究室に所属しました。 しかし、その研究室の取り組みは現象論の解析が中心だったので、サイエンスの論理を積み上げて自己免疫病のメカニズムを解明したかった私にとってあまり遣り甲斐を感じられる環境ではありませんでした。「このまま大学院に居続けるべきか……」。そんな思いの中、医学雑誌を読んでいると愛知県がんセンタ ーの実験レポートが目にとまりました。それはマウスの胸腺を取り除いた実験に関するものでした。ウイルスや細菌といった異物から体を守るT細胞は胸腺でつくられます。それを除去するとリンパ球が減り、免疫反応が起こらなくなるはずですが、実験レポートではその逆で、免疫系細胞が自分自身を攻撃し始めたと書かれていました。これは人間の自己免疫病の仕組みに似ており、このマウスに起こった現象の裏には何か重要なメカニズムがあるはずだと感じました。私は意を決して大学院を中退し、愛知県がんセンターの西塚泰章先生のグルー プに研究生として身を置かせてもらう申し出をしました。
自らの研究を究めようとアメリカへ
当時日本では、免疫反応に関する「サプレッサーT細胞」の研究が東京のある教授のもとで進められていました。一時、学会でも話題になりましたが、自己免疫病との関係が曖昧で、いつしか周りも注目しなくなりました。一方、愛知県がんセンタ ーで私の目の前にあったT細胞はそれとは別物でした。マウスの胸腺を切除すると自己を攻撃する炎症が起き、正常な別のマウスの胸腺から取り出したT細胞を再び移植すると炎症が治まるため、免疫反応を抑える何らかの細胞が存在することは明らかでした。そして、さらに詳しく調べると件のサプレッサーT細胞とは異なるCD4の細胞表面抗原があるとわかったのです。 「アメリカで研究を続けたい」。私は次のステップに進むことを決め、中退した大学院に再び戻り、自ら発見した 「制御性T細胞」に関する博士論文を仕上げて1983年にジョンズ ・ ホプキンス大学に渡りました。しかし、不運にもかつて学会を賑わしたサブレッサーT細胞が負の遺産として残り、免疫細胞の反応を抑える細胞そのものを否定する空気が免疫学の世界を覆っていたのです。
否定派の免疫学者が一転して賛同
正直、アメリカで研究を始めた頃は孤立無援の状況でした。そうした中でも心を折らさず前に進めたのは、若手研究者を対象にしたルシル•P•マーキー生物医学賞という奨学金を引き当てられたからです。ほとんどの人が私の制御性T細胞の研究に無関心でしたが、評価委員の研究者たちは「面白い!」と興味をもってくれたのでした。結果、8年もの間、研究費と給料の支援を受けられることになったのです。本当に幸運だったと感じずにいられません。 さらにもう1つ、風向きが大きく変わる出来事がありました。アメリカの免疫学者でイーサン•シェバックという大御所がいるのですが、私の研究とオーバーラップしていた部分があったようで、彼の研究室で追試が行われました。そこから少しずつ制御性T細胞の存在が認められるようになったのです。イ ーサン•シェバックは、かつてサプレッサーT細胞を真っ向から否定する急先鋒でした。そんな彼が、免疫学の世界で 「改宗した」と驚かれるほど態度を一転させ、私の論理に賛同してくれたのです。これが追い風になり、1995年の論文発表を機に制御性T細胞への評価が大きく高まりました。
制御性T細胞の増減で治療に挑む
自己免疫病は様々で、1型糖尿病、炎症性腸炎、さらに身近なものを挙げれば食物や花粉によるアレルギー症があります。そして、それらの病気の背景には制御性T細胞が関与しています。自己免疫病、アレルギ ー、炎症性腸炎を高率に発症する遺伝性疾患が知られているのですが、この疾患の患者の細胞を採取して解析すると遺伝子に特異的な異常が見られ、自己免疫の役割を担うはずの制御性T細胞が生成されないことがわかっています。つまり、わかりやすくいえば、制御性T細胞を体内で増やせば免疫反応を強く抑えられる論理が成り立ち、現在、安全面などを含めたトライアルが臨床で行われています。一方、逆に制御性T細胞の働きを弱めたり、あるいは取り除いたりすることで、がん治療に対する効果も期待されます。ここ数年、免疫チェックポイント阻害剤と呼ばれる抗体医薬が飛躍的な進化を遂げています。制御性T細胞を弱めて自己免疫反応を高めれば、がん細胞を攻撃する薬の効果はより期待できます。このように制御性T細胞の増減や強弱をうまくコントロールすれば、根治が難しいとされる病気の救世主になる可能性があり、私もIFReCを拠点に自らの研究を進め、さらなる医療への貢献を目指しています。
勉強も研究も、自ら納得するまでやる
日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士の言葉に「学問とは自分を納得させることである」とあります。まさに本質をつくもので、勉強も研究も自分が納得しなければ前進できませんし、よいアイデアも浮かばないでしょう。「周りがやっているから」「世の中で流行っているから」という理由で向き合ってもモチベーションは決して上がりません。研究者を志す高校生や大学生の皆さんは、その意思を強くもって日々努力してほしいと思います。 同時に "継続する" ことも重要です。私の研究人生を振り返ると、「なぜ免疫系は自分を守らず自らを攻撃するのか?」と疑問をもったことがすべての始まりでした。それを何十年も追究し、コッコツ成果を積み上げ、長い道のりを経て臨床に貢献できる段階に辿り着きました。テクノロジーは進化しますが、チャレンジ精神をもって挑む姿勢はいつの時代も不変です。時に苦労もあり、目の前に壁が立ちはだかることもありますが、それでも小さな確認を重ね、大発見につながる可能性があると信じて歩み続けるのが研究の醍醐味です。皆さんも自分が目指す道を信じて前進してください。
出典:大阪大学 免疫学フロンティア研究センター(IFReC) 広報誌「イムネコ」 vol04-05 October 2021
プロフィール / Profile
坂口志文特任教授
1976年京都大学医学部卒業。77年愛知県がんセンター研究所実験病理部門研究生。83 年京都大学大学院で医学博士修了後、ジョンズ・ホプキンス大学客員研究員。87 年スタンフォード大学客員研究員。99年京都大学再生医科学研究所生体機能調節学分野教授、同大学再生医科学研究所所長を歴任 し、11年大阪大学免疫学フロンティア研究センター実験免疫学分野特任教授、17年栄誉教授。免疫最後の大発見といわれる「制御性T細胞」を発見し(95 年)、1型糖尿病などの自己免疫病の解明、がん免疫治療の進展に挑んでいる。
実験免疫学 Experimental Immunology